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虎の威を借る藤原正彦氏と櫻井よしこ氏

2011615

宇佐美 保

私は、かつて、藤原正彦氏の大ベストセラー『国家の品格』(並びに、藤原正彦氏)への批判文を≪国家の品格について(1を初めとして6回書き続けました。

そして、最近『週刊ポスト(2011.5.20号)』「藤原正彦vs櫻井よしこ“日本人の覚悟と誇りについて”」を一瞥して“案の定”の感を強く抱きました。

 先ず、次の櫻井氏と藤原氏の次の会話に私は唖然としてしまいました。


櫻井 しっかりした歴史観を身につけた日本人を育てるためには、中学以降の学校の歴史の副読本として、藤原さんの本を読ませるべきですよ。同時に柴五郎や杉本鉞子など誇るべき明治人の一生を子どもたちに教える。それが若い世代の精神的な支柱になっていくと思います。
藤原 そういうのを知らないと、外国に行った時に、日本人としての衿持を保つことはできませんし、真の国際人にもなれません。ケンブリッジ大学などで、ノーベル賞受賞者に取り囲まれることがあると、さすがに傲慢な私でもヨーロッパの知性に圧倒されそうになることがあるんですね。
櫻井 そういう時、どうやってご自分を奮い立たせていますか?
藤原 島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」を暗唱するんです。するともりもり勇気が湧いてくる。俺はあの美しい信州の、あの美しい情緒のなかで、はるかなる草笛を聞きながら育ったんだ。お前たちにはこれはあるまい、と
櫻井 私も例えば中国の要人などに会う時には、歴史を振り返り、日本の文化文明がいかに優れているか、それがいかに人々を幸せにし、世界の人々の幸福も増幅しているかを頭の中で繰り返します。自分の国の歴史と文明に対する誇りが勇気づけてくれます。


 
 

 皆さまは、このお二人の発言を是認されますか?

藤原氏の言う「真の国際人」の意味は、「世界を舞台として国際的に活躍される方」の意味だと解釈しますが、そのような「真の国際人」は、十分な実力を有し、その自分の力に自信を持って居られる方であり、その様な方々が「自分の国の歴史と文明に対する誇りが勇気づけてくれます」と発言する筈はありません。

 

 「自分の国の歴史と文明に対する誇り」の力を借りなくては、国際的な舞台に立てないのでは、「真の国際人」ではありえず、単なる“虎の威を借る狐”(似非文化人)でしかないと私は思うのです。

(逆にいえば、「真の国際人」は、“自分こそが自国を背負っているのだ!”の気概を有しているのではないでしょうか?

私はそんな気概は好きではありませんが)

 

この件に関して、私は、先の拙文≪国家の品格について(5)(国家より個人の品格)≫に於いて、次のように記述しました。

 

 

……多くの文化人(?)と言われていた方々の発言です。

 

 日本に居る時は、自分は「愛国心」には無縁な人間と思っていたが、
外国で暮らしていると「愛国心」が芽生えてくるのを抑え切れなかった。

 

 そして、この発言を聞いたり読んだりするたびに、

 

 この文化人(?)は、個人としては外国人の中で認められない為に、「偉大なる日本国民の一人」の看板を欲しがったのだな!?

と、感じていました。

 

 そして、残念ながら「祖国愛」「国家の品格」を盛んに口にする藤原氏も、文化人(?)と同じなのだ〜〜!との感を強く抱くのです。

それに「祖国愛」などに固執していたら、移民の方、国際結婚の方、不幸にして祖国が無い方(一時期のユダヤの方)の「祖国愛」は、どうなるのでしょうか?

 

 

 更に、お二人は続けます。

 

藤原 ……武士道精神というのは鎌倉時代に始まり、江戸時代になって庶民にも広まった国民的精神といいますが、私はおそらく縄文、弥生時代からそういう気持ちを受け継いでいると思う。
櫻井 日本文明の遺伝子ですね。
藤原

決死の放水作業に向かう消防隊の人が、「これから原発に行く」と奥さんにメールしたら、「日本の救世主になってください」と一行だけの返信がきた。

まさに武士の妻ですよ

 

……

 東北大名誉教授で石巻の赤十字病院の院長をしている私の知人も、「自分が倒れたらこの町が倒れてしまう」といって、医師スタッフ全員が阿修羅のごとく働いています。実は彼は白虎隊の生き残りの孫なんです


 

 何故、武士道精神の源流が弥生時代に遡れると言えるのでしょうか?

これでは、藤原氏はまるで「武士道の押し売り」のようです。

日本文明の遺伝子」とまで言うなら「武士道」よりも「信仰心」ではありませんか!?

 

それにしましても、次の『週刊金曜日(2011.4.15号)』での佐高信氏の記述(白虎隊へも「惻隠の情」の一欠けらも示さなかった薩長武士たち)を、武士道礼賛の藤原氏はどう解釈するのでしょうか?

 

 

……

 福島の悲劇は私に戊辰戦争の会津の悲劇を想い起こさせる。会津を含む東北の悲劇と言ってもいい。

 現首相の菅直人は自らを長州人としている。高杉晋作が好きというのも同郷だからという要素が大きい。小泉純一郎は父親が薩摩の出身であり、やはや長州人を自負する安倍晋三を加えれば、薩長がいまだにこの国の政治を動かしているとも言える。

 福島を含む東北は「白河以北一山百文」として、その政治から切り捨てられてきたのである。

薩長軍は官軍にあらず、官賊だ」とする会津の人たちがいまも薩長に怨みを深くしているのは、彼らが戦いで死んだ者の埋葬を許さなかったからである。

 賊軍すなわち犯罪者という理由で、官軍は会津藩士の遺体の埋葬を禁じた。そのため、放置された遺体は狐や狸や野犬に食いちぎられ、鳥につつかれたりして惨憺たる有様となった。一部は白骨化し、一帯は死臭ただよう地獄と化したという。そこを通る者は鼻をふさがなければ歩けなかったといわれる。

 かの白虎隊士の遺体も同じだった

 ある村の肝煎(きもいり:名主・庄屋の異称)があまりにかわいそうだと哀れんで、ひそかに埋葬したが、密告によって肝煎は捕えられただけでなく、遺体は掘り起こされて、ふたたび放置されてしまった。

一方、官軍という名の薩長軍は会津城下の寺に墓地を設けて埋葬している。

……

 

 

 このような振る舞いをした「薩長軍」が、武士道精神のもとに「明治維新を遂行した」と言えるのでしょうか?!

 

 

 勿論、未だ、お二人は次のようにも語ります。


櫻井 ……原発事故は二次被害ですが、政府はそのコントロールに四苦八苦して、第三次被害を食い止めるべき復興の対策は何も打てていない。その原因はこの国のリーダーシップが確立されていない、危機管理ができていないということにあります。国家がなきに等しき状況です。
藤原 真のエリートの最も重要な要件を全部満たしていませんね。歴史や思想、文学、芸術などに根ざした大局観、長期的視野がまったく見られない。いざとなれば自らの命を国家国民に捧げるという気概もない
櫻井

 菅首相は原発事故の後、官房長官も統合幕僚長も連れずに自分ひとりで現地視察に行き、自分の横顔をカメラに撮らせましたが、自分が目立つことしか考えていないかのようです。……

藤原

こうした危機に際しては、中央集権でトップがすべてを決めるべきです。

その代わり失敗したらただちに腹を切る。そのぐらいの覚悟でないと


 

 “自分の物差しでしか他人を評価できない”と言われていますが、この櫻井氏の発言はその典型のように感じます。

菅首相は、震災津波被害地の視察目的で現地に行ったのではないのですから「官房長官も統合幕僚長も連れず」は当然で、パフォーマンス目的でもありません。

 

 私は、拙文≪菅直人氏は私達の恩人では≫(又、≪菅首相こそが私達の救世主≫)にも記述しましたが、この時の菅首相の目的は、内部圧力が異常上昇して爆発の恐れがあった、原子炉格納容器の内部ガスを放出する為のベント指示を直接行う為、「秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、真っ先に福島に飛んだのです。

ですから、藤原氏の発言「中央集権でトップがすべてを決めるべきです。その代わり失敗したらただちに腹を切る」通りに、東京からの電話ではなく、「危険な手動でのベント弁の開放」(不幸にして、手動でのベント弁の開放作業中にでも、格納容器が爆発したら作業員の方々の命はどうなるでしょうか?それらの全責任を自らが背負い、失敗したらただちに腹を切る覚悟で)面と向かって口頭で指令したのではありませんか!?

 

この菅首相の思いが、福島原発所長の吉田氏に通じたからこそ手動のベント作業が実施されたのだと存じます。

 

(「放水作業に向かう消防隊」の奥さん同様に、この福島へ向かう菅さんに、伸子夫人も「日本の救世主になってください」と一言、声をかけて居られたかもしれませんよ!)

 

 

 

 更には、櫻井氏の無責任発言にあきれるのです。

 

櫻井 ええ。自民党は民主党よりははるかにマシですが、これまでの自民党にも合格点は与えられない。戦後65年の間に日本をこの状況にしてしまったのは自民党なのですから。

 

 櫻井氏は、「戦後65年の間に日本をこの状況にしてしまったのは自民党」の根本的な欠陥を指摘叱責してきましたか!?

何故放置していたのですか?!

(それに、民主党の多くの方々は、自民党の方々と「同じ穴のむじな」で貼りませんか!?)

 

 

 次は又、藤原氏です。

 

藤原 重大な危機においては、「復興は簡単だ、一気に行こう」と、楽観的にならないと復興できません。

 

 だったら、国会が「菅首相不信任案」など提出せず、菅首相でも大丈夫と議員全員が菅首相を盛り上げ助けて復興に向かうべきではありませんか!?

 

 

藤原 同様に、祖国に対する誇りや自信がないと、人は楽観的になれないんです。

 

 

 おやおや、楽観的に菅首相に全面的に任し協力できない藤原氏も「祖国に対する誇りや自信がない」の類なのでしょうか!?


櫻井

夢を持てない政治、自信がない政治は機能しません。今の民主党がまさにそれです。

 藤原さんは新著『日本人の誇り』のなかで、幕末から大東亜戦争までを「100年戦争」と位置づけ、日本は敗れたけれども世界に誇るべき大殊勲を成し遂げたと書いています」私もまさにその道りだと思います。

藤原

日本はその戦いに放れ、ものすごい犠牲を払いました。しかし、あの戦争によってアジアを白人の支配から完全に解放⊥ました。

白人国家による人種差別をなくし、さらには各国が国連などで同じ1票を持つようになりました。結果として世界を変えるような大殊勲を打ち立てたんです。

櫻井  昨年末、インドに行った時、インドの人たちに「日本は2つの立派な戦争をしてくれた」と感謝されました。ひとつは日露戦争、もうひとつは大東亜戦争だと。日本が日露戦争を戦っていた時、インドは二百数十年に及ぶ英国の支配下にあり、唯々諾々と働くだけで、独立することなど考えることすらできなかったと。その意識を変えたのが日露戦争。変えた意識を実現させたのが大東亜戦争だというのです。私はとても意を強くしました。……

 

 ここでの藤原氏の発言のように、自らが「白人」と言う言葉を使っている限り「白人国家による人種差別をなくし」は、実現しないのだと考えます。

又、「日本は2つの立派な戦争をしてくれた」と感謝されました」などの戦後の感謝等は、戦争で命を落とさなかった方の見解です。

亡くなった方は「死人に口なし」です。

 

 

 又又、次のような呆れた発言を聞かなくてはなりませんでした。

 

 

櫻井 私はこの大震災を機に日本を再生するには、憲法改正から始めるべきだと思っています。明治憲法には日本人の価値観がしっかり詰まっていました。

五箇条の御誓文、明治以降の日本は独自の価値観で国家を築いてきたわけです。それが戦後になって根こそぎなくなってしまいました。

 

 

五箇条の御誓文の最後は「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」です。

今上天皇が「日の丸、君が代の強制はいけませんよ」と語られていても、東京都をはじめ、この御誓文を一番大事にしたがると思われる方々が、天皇陛下の意に反して、これらを強制しています

「……大ニ皇基ヲ振起スヘシ」はどうなっているのでしょうか?

なんかおかしくありませんか!?

 それに、この記述以外は、わざわざ、御誓文として発布されなくても、私達一般人は、誰もが日常実行していると存じます。

教育勅語にしてもしかりでしょう。

 これらから逸脱しているのは、今の日本のトップに君臨されている方々ではありませんか!?

 

 私の両親や、お世話になった先生方は、どなたも「明治憲法」等の時代に成長なさった方々ですが、何等、現行憲法下の私達周辺の方々と変わってはいませんでした。

 

「憲法」等で、人格形成、人間形成が左右されはしません。

親の背中を見て育つのが第一です。(反面教師の場合もありますが)

 

 それに、今の時代の方々もとても素敵です。

拙文≪私の一番好きな事≫には次のように記述しました。

 

私の一番好きな事は、道を譲る事です。

 

(車は運転しませんが)歩いている時も、自転車に乗っている時も、他人に道を譲ると、二度に一度の割合くらいでしょうか?

 

(でも残念な事に、私くらいの年配の男性女性、特に男性の場合は、この確率は激減します)

 

若いお母さんや、若者や、お子さん方から

とても素敵な笑顔をと共に感謝の言葉まで頂戴します。

 

 このような笑顔を頂くと、私の一日はバラ色に輝きだします。

 

そして、今は惨憺たる状況だけれど日本の未来もまんざら捨てたものでないとも思ったりするのです。

 

 

 本当にそうなんです。

現憲法下でお育ちになった、又、お育ち中の方々から今日も沢山の笑顔を頂きました。

 

拙文≪元チャンピオン具志堅用高氏とご家族(東京新聞より)≫に引用させて頂きましたが、「俺(注:具志堅用高氏)は褒めて育てた。俺も褒められて強くなったから。褒めれば褒めるほど、頑張るから。それが教育方針。二人とも素直な性格に育ってくれたよ。」

 

私は、具志堅用高氏の教育方針に全面的に賛成です。

 

 更に、藤原氏の発言です。

 

藤原 現行憲法は、憲法の専門家が一人もいないGHQの民政局が、1週間あまりででっち上げたもの。その翻訳であることは文章を詠めば明らかです。しかも、1940年代の米国政府は共産主義者の巣窟ですから。……

 

 

 共産主義と名が付けばすべては「悪」とでも云うような藤原氏の発想に対して、

藤原氏は思考の柔軟性に欠けていると思わざるを得ません。

良い点があったら、○○主義でも、××主義からでも取り入れれば良いではありませんか!?

 

更には、拙文≪原発導入二人の父(中曽根康弘氏、正力松太郎氏)≫に引用させて頂いた有馬哲夫氏『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」:20061020日新潮社発行』の次の記述(一部編纂)をお二方はどう考えるのでしょうか?

 

正力松太郎氏(読売新聞社の経営者、日本テレビ初代社長)が、CIAから「ポダム」という暗号名まで与えられ、『パパは何でも知っている』、『ヒッチコック劇場』、『モーガン警部』などのテレビ番組を安価に提供を受け、……(日本人が)日本人であるにもかかわらず、アメリカ人の気持ちになって考え、彼らの視点からものごとを見るようになったということだ

 これは、単なるアメリカという国とその国民の紹介や、ひたすらアメリカの大義を説き、共産主義を非難するプロパガンダから一歩踏み込んだものだ。その効果は今日の目から見ても明らかだ。……

 

 

 そして、ここから、冒頭に掲げた情けない対話が続くのです。

 

櫻井 しっかりした歴史観を身につけた日本人を育てるためには、中学以降の学校の歴史の副読本として、藤原さんの本を読ませるべきですよ。同時に柴五郎(※1)や杉本鉞子(※2)など誇るべき明治人の一生を子どもたちに教える。それが若い世代の精神的な支柱になっていくと思います。
藤原  そういうのを知らないと、外国に行った時に、日本人としての衿持を保つことはできませんし、真の国際人にもなれません。ケンブリッジ大学などで、ノーベル賞受賞者に取り囲まれることがあると、さすがに傲慢な私でもヨーロッパの知性に圧倒されそうになることがあるんですね。……

 

(※11990年の義和団の乱で駐在武官として籠城線を戦い、居留民を保護、その武勇が各国政府から高く評価された

(※2)長岡城代家老の娘。武家の暮らしを書いた自伝『武家の娘』が米国でベストセラー、7カ国語に翻訳された

 

 

 武官だったら、居留民の保護に全力を傾けるのは当たり前でしょう?!

それより、それよりも、ソ連参戦後、満州居留民を置き去りにして、さっさと帰国した日本の軍部のお話をされてみてはいかがでしょうか!?

 

 

 それよりも、拙文≪美術収集品と食料を交換し難民を救った首藤定氏≫、に紹介させて頂いた、

大分の農家の生まれで、191121歳の時中国にわたり、財をなして集めた「美術品約千点」を、大連に集まった多くの難民の食料確保の為、ソ連司令官に寄贈した首藤定氏。

 

更には、≪私財をなげうって町民を津波から救う(東京新聞より)≫に紹介させて頂いた、

和歌山の広川町は一八五四(安政元)年十一月の地震のさい、大津波に襲われた際、収穫後の稲ワラに火をつけ、町民を高台に呼び集めた。これによって町民千数百人が助かった。浜口はのち私費を投じて、高さ五b、長さ七百bにおよぶ堤防を町民に築かせたという、醤油醸造家で海運業を営んでいた浜口梧陵氏

そして又、

一七〇七(宝永四)年に大噴火した富士山から流れ出た溶岩で、太平洋に注ぐ酒匂川が塞き止められ、大洪水をおこし、町中が水に浸かった。このとき、私財をなげうち村民に働きかけて川を掘り直し、土堤を築いた篤志家の方

を教科書に載せるべきでしょう。

(でも、浜口氏のお話は、最近教科書に復帰したとの記事も見ましたが)

そして、御3人は武士ではありません。

 でもまだ、お二人の会話です。 


藤原

日本人は平安時代に350年の平和を築き、江戸時代には250年の平和と「みんな貧しいけれど、みんな幸せそうだ」と外国人が驚嘆した世界をつくった。80年代には一億総中流という、世界中が夢見た世界を実現してしまった。

 21世紀には、論理・合理・理性を重視する近代主義的価値観に加えて、日本人が昔からもっている、もののあはれ、側隠、畏敬といった価値観が必要とされていると思います。世界が日本を見習うことが、世界が幸せに、そして平和になるためのひとつの道だと思う。

櫻井 日本こそ、21世紀の世界のモデル国としての資格を備えた国だという自覚を持ちたいものですね。

 

 藤原氏は、何度も凶作、飢餓に見舞われた東北の悲惨さに目をつぶっているのですか!?

 

 

 昭和東北大飢饉関して、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』次の記述が載っています 

……昭和東北大凶作。近代史ではあまり知られていないが石原莞爾をはじめ、東北出身の軍人が国民の窮乏をみかね、満州事変を起こすきっかけとなった、自然災害である。

 

東北の凶作は、昭和時代まで多発したが、明治時代以降でも1872年、1902年、1905年、1910年、1913年、1921年、1931年、1933年と連続的に発生した。1933年から1935年にかけて発生した飢饉は、日本史上最後の飢饉といわれている。 また、このことに伴い東北では身売りや欠食児童が続出した。

 

 身売りされた娘さん、亡くなった欠食児童たちも、「みんな貧しいけれど、みんな幸せそうだ」とおっしゃるのですか!?

外国人は東北の悲惨さを知っていても、藤原氏と同じ思いなのでしょうか!?

 

 

 「80年代には一億総中流」は、小泉純一郎氏の「三方一文損」は、「一方三文損」となり強者弱者の差が開き「一億総下流」に真っ逆さまです。

しかし、大宅壮一氏の日本のテレビメディア黎明期における御卓見の通り、(又、広告収入にしか念頭にないテレビメディアのバカ番組、スポンサーのご機嫌取り番組のオンパレードによって、「原発安全神話」までも構築されていました)「一億総白痴化」は達成され、世界中の笑いものになるのではないでしょうか?

 

 そして、正気とは思えないような藤原・櫻井両氏の最後の言葉「世界が日本を見習うことが、世界が幸せに、そして平和になるためのひとつの道」、「日本こそ、21世紀の世界のモデル国としての資格を備えた国だという自覚を持ちたい」を逆手に取らせて頂きますなら、「日本が平和憲法を守りぬくこと」となるべきです。

 この件に関して、藤原氏の座右の書と思われる『武士道:新渡戸稲造著:三笠書房発行』から、その一部を抜粋させて頂きます。

 

 

 

武人の究極の理想は平和である

 

 武士道は適切な刀の使用を強調し、不当不正な使用に対しては厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。やたらと刀を振りまわす者は、むしろ卑怯者か、虚勢をはる者とされた。沈着冷静な人物は、刀を用いるべきときはどのような場合であるかを知っている。そしてそのような機会はじつのところ、ごく稀にしかやってこないのである。

 暗殺、自殺、あるいはその他の血なまぐさい出来事がごく普通であった、私たちの歴史上のきわめて不穏な時代をのり越えてきた勝海舟の言葉に耳を傾けてみよう。彼は旧幕時代のある時期、ほとんどのことを彼一人で決定しうる権限を委ねられていた。そのために再三、暗殺の対象に選ばれていた。しかし彼はけっして自分の剣を血塗らせることはなかった。

 勝舟は後に独特の江戸庶民的語り口で懐旧談を語ったが、その中で次のように語っている。

「私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものはないよ。みんな逃して、殺すべきものでも、マアマアと言って放って置いた。それは河上彦斎が教えてくれた。『あなたは、そう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取ってお上んなさるだらう。あいつらはそんなものです』と言った。それはヒドイ奴だったよ。しかし河上は殺されたよ。私が殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった人に斬られても、こちらは斬らぬといふ覚悟だった。ナニ蚤や虱だと思へばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ」(『海舟座談』)

 これが、艱難と誇りの燃えさかる炉の中で武士道の教育を受けた人の言葉であった。よく知られている格言に「負けるが勝ち」というものがある。この格言は、真の勝利は暴徒にむやみに抵抗することではないことを意味している。また「血を見ない勝利こそ最善の勝利」とか、これに類する格言がある。これらの格言は、武人の究極の理想は平和であることを示している。

この崇高な理想が僧侶や道徳家の説教だけに任され、他方、サムライは武芸の稽古や、武芸の賞揚に明け暮れたのはまことに残念きわまりない。このようなことの結果、武士たちは女性の理想像を勇婦(アマゾネス)であれ、とするに至った。ここで女性の教育、地位という主題に数節をさくことは無駄ではなかろう。



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